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レズビアンの政治家 尾辻かな子氏が日本の性問題について語る
2005/09/30 01:42
2003年4月、28歳の尾辻かな子さんは史上最年少で大阪府議に当選。これは当時110人の議員の中で 、他に6人の女性議員しかいなかったという点でも大きな功績だった。しかし、彼女に投票した人々には、もう1つ明らかにされていないことがあった。
尾辻氏はレズビアンである。しかし、彼女は性的指向については秘密のままにしておかず、そのことについて選挙戦中に公にしようと話していた。彼女は常に、自分の性的指向について地元のジャーナリストにオープンにしてきたが、地元のメディアは報道しなかった。
大阪で生まれ、神戸で育った尾辻氏は高校時代に空手のアジアジュニアチャンピョンになった。後に、彼女は大学を辞めて、突然、韓国語と2000年のシドニーオリンピックを目指し、テコンドーを習うためソウル大学に留学したのだ。彼女は代表になることはなかったが、議員に当選するまで京都の同志社大学に入学していた。
当選後、尾辻氏はカミングアウトを望み、彼女は自伝「カミングアウト」(講談社刊)の執筆に2ヶ月をかけ、2005年8月13日に開催される東京レズビアン&ゲイパレードで聴衆の前に立ちたいと考えた。しかし、地元堺市の支持者から異論が出ていることも感じていた。彼女はパレードの前日、記者会見を開き、自らの性的指向を明らかにした。
7月30日、尾辻氏はカミングアウトのため、支持者を集め初めてのミーティングを行った。彼女はレズビアンやゲイ、バイ、トランスジェンダーなど性的マイノリティーの意味も含め、なぜカミングアウトしたいのか、なぜ自らの政治活動のなかで彼らを支援していこうとしているのかを説明した。
ミーティングに続いて、彼女はJapanTimesに対して自らが日本で同性愛者であることを公にした政治家になろうとしていることを語った。
■ なぜあなたはカミングアウトすることを決めたのですか?
誰かがしなければならないからです。性的マイノリティが面している問題について人々が気づくためには、その人たちが見えなければなりません。そうでなければ、差別は続いてしまいます。
■ あなたは社会を変えるために政治家になったと言いました。自分について支持者たちにはどう説明したのですか?
私が選挙戦を行っているとき、大阪府議会にはわずかな女性議員しかおらず、全議員の平均年齢は おそらく60歳でした。議会は様々な人々の代表であるべきだと思いましたが、議会には若い人がいなかったのです。だから私は選挙戦で議会には若い女性の声が必要だと訴えました。また、私はどの政党にも入る意志がないことを明らかにしました。私は、政党の助力なしでも自分の信じていることを進めていくことができると信じています。政策としては平和と環境、人権、女性問題を掲げました。私は自分の考えを公にしない人々の代表になりたかったのです。彼らの声を議会に伝えたい。私は政治家としての功績はありませんが、だからこそ人々に社会を変えたいと望んでいる若い女性にチャンスをくれるよう訴えました。
■ なぜ選挙戦中に自らの性的指向についてあきらかにしなかったのですか?
私は自分が同性愛者であるという事実を隠したことはありません。自ら進んで明かしたことはないですが、問われれば語ったと思います。パレードの最初に、自分がレズビアンであることを発表しましたが、それはとても幸せな機会だったことを覚えています。
自らの性的指向をみとめる23歳までの間、私はつらい日々を送っていました。私は自分が変なんだと思い、こんな風に感じるのは世界でたった1人なんじゃないかと感じていました。そんなときに同じ状況の人々に出会いました。このことをパレードに話したとき、涙が出てしまったんです。私が感じてきたつらさを思い出してしまったから。私は将来人々がもっと簡単に告白できる 社会 を望んでいます。
■ ご両親は?
告白しようと思うと家族に話したとき、家族は「これから迎えることになるかもしれない苦難を覚悟しなければならないよ」と言いました。父は鹿児島の親族に話したましたが、彼らはとても怒ったようです。「出版などするな!おばあちゃんが気絶してしまう!」と言われました。
母は私の性的指向について気づいていましたが、理解はしていませんでした。教師である彼女の友人の1人は「女子校ではよくあることだ」と言ったらしいです。他の友人たちは単純に「わぁ、娘さんが本を出版したのね!すごい!」といったようで、その後は少し安心したようでした。
■ パートナーのご家族は?
彼女の親族は、だれも彼女を理解していません。そして、もし私の家族が私たちの関係を受け入れないようなことがあれば、それはとても辛いことです 。母親というものは 、娘がレズビアンであると告白すると、自分が何か間違いをしたのではないかと考えてしまうようです。それは障害を持った子供をもった母親に似ています。母親たちは、社会がまるで彼女たちが失敗を犯したと見下していると考えてしまう傾向があります。だからこそ人々を教育していかなければならないんです。
人権問題は差別が原因で、すべての差別は無知によって生み出されます。私は差別をなくしたい。私はカジュアルに自らの性的指向を話せる社会を作りたい。それには少なくとも10年はかかるでしょう。
■ 本の中で、あなたは高校でいじめられたと書いていますが?
学校でのいじめは、他人と違うと気づいている人に起こります。誰かが主流からすこしでも外れると、いじめられる。私は少年ぽかったんです。
■ あなたは他の生徒たちに「レズ」と呼ばれたといわれたとき傷ついたと同時に、誰かに少年と間違われた時は幸せだったと言っています。あなたは性自認の問題をもっているのですか?
日本の人たちは、レズビアンはとても女性的だと考える傾向があるようです。私の知っている人は、性転換をする必要はありませんが、自分が女性であることに疑問を持っていました。その人たちは人生を女性として生きてきて、性転換を行うことを真剣に考えるのには遅すぎました。だから、私は本の中で人々は性というものを白黒つけるものではないことを理解するべきだと書いています。時々、異性愛者が自らの同性愛的な部分に気づいたり、同性に恋したといっていることを聞いたことがありませんか?
彼らはその視点で同性愛というものを理解しています。私は男性に性的欲求を感じたことはなく、女性に対してだけです。私は「女性」を愛してしまったとは決して言いません。私はその人を愛しています。彼女が女性だからです。性というのはとても複雑な問題です。
■ あなたはレズビアンがとても特殊な状況で生きることを強いられているといっていますが?
先進国の中では、日本は権力を持った地位にいる女性がとても少ない。この事実はレズビアンの状況に反映しています。
女性が自分がレズビアンであると気づいたとき、彼女は自分を助けてくれる男性と結婚するという選択肢を失います。日本で女性が1人で生きていくというのは難しいことなんです。女性が十分な収入を得られる職は少ない。女性の平均収入は男性の60%で、この国で女性であるということは貧乏になるということなんです。これはレズビアンも貧乏であるいうことになります。だからやむを得ず結婚する人たちもいるんです。
■ レズビアンは子供を持ちたいのですか?
私の知っているうちの何人かは離婚し、すでに子供もいます。日本でレズビアンのカップルが子供をもうけて共に育てているという例は知りません。優先されるのは経済的に生き延びていくなんです。
■ 性的マイノリティに対するメディアの扱い方をどう感じていますか?
メディアの扱い方には怒りを感じています。今朝、レイザーラモンというコメディアンを初めて見ました。私は普段TVを見ませんので、彼のことは聞いたことがあるだけでしたが、彼は同性愛者ではなく、彼は同性愛を人々を笑わせるという彼の仕事のために利用しているだけです。人々が同性愛者がみんな同じようなに叫び、しりを突き上げるものだと考えるんじゃないかと恐れています。
■ メディアにおける差別に対して批判している団体はあるのですか?
今現在はメディアの扱いについて調査している団体はありません。今年のある演説で「日本がジェンダーフリー教育を続けていくなら、男性らしさも女性らしさもなくなり、「オカマ」だけになるだろう。」と言った方がいました。その後、私たちは怒りその声明に反対するブログを書き始めました。
性的マイノリティの団体はカウンセリングに重きを置いています。どう社会の中で生きていくか?私たちは政治活動を行うところまでにはたどり着いていないのです。私たちは今回のパレードのようなもので異性愛者たちにアピールしています。また、私たちは衆議院議員選挙の候補者たちに性的マイノリティに関する政策について質問状を送っています。
■ 人は皆、愛する人と共に生きるということを含めて幸福を求めていきます。日本では社会的な最小単位は「家族」だと認識されていますが、「家族」の定義はきわめて狭いもののようですね。
家族の定義は修正されるべきです。大阪では公営住宅には家族とだけ住める。家族というのは公的に登録された家族を意味します。だから結婚し、登録していることを証明する必要があるし、現在の婚姻制度においては結婚は男性と女性の間でのみ成立します。
このような慣習の中で同性愛のカップルが家族として認められるのが良いことなのか、悪いのかという議論には問題があると感じています 。なぜなら、独身の人々は差別されることになるだろうから。私たちは個人の基本的な権利が認識された社会で生きていきたいと思っています。
私は「家族」と「独身者」が敵対する社会であってほしくない。そこが 、 私たちが同性のパートナー制度の法制化に積極的ではない 理由 です。私たちは男女同権に影響されています。レズビアンは「カップル」や「結婚」という言葉が好きではないようです。
個人的に私は結婚しないことをずいぶん前に決めています。
■ あなたは結婚制度に反対ですか?
はい。今の法律は夫婦別姓すら認めていません。
■しかし、あなたはドメスティックパートナーシップのための法律をつくりたいと言っていますね。
ドメスティックパートナーは、結婚しているカップルと同じ権利を持つべきだと思っています。もし 持つことができれば、政府がゲイやレズビアンを国民として認めたことになります。以前、政策研はゲイとレズビアンが何を望んでいるのかを調査しました。優先度が高かったのは、病院でパートナーの重病時に共にいることでした。もし、私のパートナーに何かあれば、私は彼女の横にいて、医者と話がしたい。私は彼女の治療方法の意思決定に参加したい。現時点では家族のみが許されています。次に優先度が高かったのが、相続でした。
■ もし社会を変えたいのならば、国政にいくべきでは?
確かに。私たちは少なくとも1人の性的マイノリティーの候補者を参院選に立てたいと考えています。それでどれくらいの票を獲得できるのか、どんな支援を得られるのかを見るためです。
■ どこかの政党があなたに話を持ちかけてきていないのですか?
多分、彼らは静観を決め込んでいるのでしょう。新宿のような場所には多くの同性愛者たちがいます。もし彼らのうちの何人かが選挙に出ることを決めれば、彼らは当選すると思います。もし同性愛を公にしている人が立候補すれば、政治に興味のある性的マイノリティの人々がその人に投票するでしょう。いつでも私は立候補を要請しにいきます。
■ あなたは性的マイノリティの政治グループを作ってきました。あなたや上川あや氏など。
もっとたくさんの人がいます。氏名を公表しているのが私と上川さんです。
■ 彼らは自治体の政治家ですか?
はい。国政の政治家もいます。
■ なぜ彼らはカミングアウトしないのですか?
彼らは、性的マイノリティ問題のために政治家になったわけではありません。一度、政治家になったら再選されることが仕事です。特に地方では、カミングアウトしたら再選は難しくなります。
■ 本の中で子供についても心配していますね。最近では性教育が議論の的になっている。あなたは性的指向について教えることに肯定的ですか?
今現在、高校の家庭科の教科書で同性カップルについて取り上げています。4年ごとに教科書は改訂されるので、私たちは掲載され続けるよう努力していかなければなりません。政策研は特別なジェンダーフリープログラムを作りました。私たちは学校に行き、性的マイノリティについて説明していきます。教師たちは、彼らの生徒から性的マイノリティに関することを問われるようになるでしょう。多くの教師がそうなることを望んでいるわけではありませんが、これらのプログラムは助けになると思います。一度話題出れば人はもっと知りたくなるものです。
私たちは、ゲイやレズビアンであることは少しもおかしくないと人々に訴えていかなければなりません。それは健康的な性的指向です。私たちは人権を突破口に使います。私たちは、もし学校や公的な場所で差別的な言葉を浴びせられたら、それは権利を犯しているということを主張しなければなりません。
■ 個人の性的指向が人権問題だということが認識されていないから、人々がカミングアウトしないのですね。
ええ。でも誰かがしなければ。
■ その誰かがあなたであると。
1993年に作家の掛札悠子(カケフダ ユウコ)さんが「レズビアンであること」を執筆した後にカミングアウトしました。そのとき、その本を読んだ歌手の笹野みちる(ササノミチル)さんは自身の本の中で、「日本でこのような本が出版されたのは始めてだ。」と書いています。私がそれを呼んだのは20歳のころです。1998年池田久美子(イケダクミコ)さんという教師が「わたしはあなたを置いていかない」という本を書きました。彼女は、偽名のレズビアン活動家でしたが1997年に学校でカミングアウトしました。私はその流れの続きなんです。
■ ササノ氏は出版後、憂鬱な気分に苦しんだそうです。
カミングアウトした人は、少なからず落ち込みます。
■ あなたはどうですか?
最初はつらかったですが、今では喜びを感じています。
■身をもって何か感じますか?
私が触りがたいもののように感じました。ミーティングで女性をみました。1人は60代でしょうか。彼女たちは性について語り合うボキャブラリーを持っていないんです。彼らの性のイメージは下品な冗談かポルノなんです。彼女たちは日常の性について真剣に語り合うことができません。だから、彼女たちはカミングアウトした後、私にどう話していいのか分からないのです。
私のグループの友人たちは、私のところに来て、私の本について語り合い、大丈夫かと聞いてくれます。でも、他の人々はそのことは話しません。彼らは、私がカミングアウトしたことを知っていますが、それを知っていることを認めようとしません。共に働いている議員仲間ですら 、なんといっていいか分からないようです。
私のところに来て、私の本を読んだとか私の記事をみたとか言ってくれたとき、私は彼、もしくは彼女が私を受け入れてくれたと感じることができます。皆が私がカミングアウトしたことを知っているのに、だれも面と向かってそれについて話そうとしないんです。
パレードはすばらしい時間でした。まるで夢のよう。次の日、大阪に戻ってきて現実はいかに厳しいかということに気づきました。いつか他の人が現れるでしょう。私の本を読み、カミングアウトする誰かが。そのときは 彼らに バトンを渡します。でも、その人が現れるまで、私は先駆者としての自分の役割を果たしていきます。(ジャパンタイムズ) |