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ナミビア 崩れ行くアフリカのタブー‘同性愛'
2005/11/19 11:33
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ハロルド・ウチマン( 30/ 左)と彼のパートナーのヘルムート・オクサラブ( 35/ 真ん中)。スワコプムント市内のカフェで友人のヴィクター・ホネブ( 34/ 右)。ナミビアの都市部では、同性愛者でいることが受け入れられるようになってきていると話す。
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(ナミビア / ウィントフーク)ペトリュス・グリラブは14歳の時、自分がゲイであることを恐れていた。信頼できる大人からのアドバイスを求め、いつもやさしく接してくれていた教師のところへ行った。
「僕は、他の男の人に惹かれるんです。恋愛感情のようなものです」とグリラブは教師に伝えた。
長い沈黙があった。
するとその教師は、ぞんざいにこう返事をした−「ゲイでいるということは、アフリカ人のすることではないわね。そういう感情は無視して、女の子を好きになるように努めなさい。」
彼女は、同僚たちとグリラブの噂話をするようになった。他の教師たちは彼に「どうしてサッカーをしないんだ?どうしていつも母親にベッタリなんだ?」と質問しては、からかった。ある朝、グリラブは体育教師にオフィスへ呼ばれ、部屋に鍵を掛けられ、性的行為を強要された。
「さあ、どんなに上手だか見てみようか」とその教師は言ったのだと、現在25歳になるグリラブは、涙を流しながら当時の様子を話す。その時の体験で、彼の腕と脚には赤い傷が残った。翌日、取り乱し、心が混乱していたグリラブは、クラスメイトの女子生徒との性行為をした。
「どうしようもなく変わりたかった。ゲイではない自分になりたかった。でも、無理だったんだ。僕は、自分が男性に惹かれるということを知っていて、自殺しようと心に決めていた。絶望していた僕は、ロンドンにあるライフラインに電話をかけ、彼らに救われたんだ」とグリラブは振り返る。
非アフリカ人、非キリスト教徒、反家族的、そして悪魔−アフリカの多くの国では、同性愛者であることとはこのようなことである。また多くの国で同性愛は違法であり、タブーであるがゆえに、同性愛行為には、強姦や殺人よりも重い懲役刑が科されることもある。同性愛者でいることが広く受け入れられ、法律で人権保障をしているのは、アフリカでは南アフリカ共和国だけである。
同性愛行為に無期懲役が課されているウガンダから、昨年レズビアン人権活動家が強姦、刺殺されたシエラレオネまで、アフリカにおけるホモフォビアは長い間、同性愛者に危険な生活、クローゼットの中での生活を強いてきた。気軽に同性愛者と出会う場もなければ、参加できるグループもない。そんな中で時には、アフリカにはゲイやレズビアンなど存在しないかのようにさえ見えた。
しかしナミビアでは、広がる全国レベルでの同性愛に関する議論が大きな非難を呼び、同性愛者権利団体は現在、首都ウィントフークで開かれた活動を行っている。
それらの団体の一つが、グリラブが自殺予防カウンセラーとして働くレインボー・プロジェクトだ。レインボー・プロジェクトはアフリカ大陸から集まったアフリカ人同性愛者への面接を行い、同団体のリーダーは「偏見と闘い、同性愛者であるということの真の意味を広く議論する時が来た」と話している。
「たった一つの答えは、‘教育'。私たちは、勇気を持ち、自分たちのために闘わなければならない」と話すのは、部族社会で育ち、レズビアンであることが分かると部族から追放されたリンダ・バウマン( 21 )。リンダは現在ウィントフークに住み、同性愛者向けのラジオ番組を担当している。
レインボー・プロジェクトは、女性団体、 AIDS 患者団体、新進政治団体などさまざまなグループと協同して、全てのアフリカ人への平等な権利を求めて活動している。多くのヨーロッパ諸国とは異なり、 AIDS 感染が異性愛者の性行為や輸血によって広がっているアフリカでは、同性愛者が AIDS について非難されたことはなかった。
都市部で活動する若い世代のアフリカ人同性愛者たちは、アフリカ大陸における急速な都市化の恩恵を受けている。最近では欧米で放送されている‘クィア・アイ・フォー・ストレート・ガイ'が衛星放送で観られるようになり、インターネットカフェでは同性愛者向けのサイトも楽しめるようになっている。
南アフリカに拠点を置くサイト‘ビハインド・ザ・マスク'には一日にのべ数千人が訪れ、両親に対しどのようにカムアウトしたらよいか、パートナーに出会うためにはどうしたらよいかなどの内容のレズビアン、ゲイからの電子メールも多く送られているという。
しかしながらレインボー・ネットワークは、ナミビア国外での調査を行う際や、同性愛者権利活動を呼びかける際には非常に慎重な姿勢をとらなければならない。ソマリアでは、義勇兵による同性愛者への投石が頻繁に行われており、エジプトでは殺されることもある(バウマン)。
レインボー・プロオジェクトのイアン・スウォルツ代表は、ケニアの首都ナイロビを訪れた際、同性愛者男性と会うだけでも大変なものだったと話す。スウォルツは、深夜過ぎに行ったクラブのことを思い出し、「ケニアにはアンダーグラウンドなゲイコミュニティーがあり、現地で出会った男性に現地の痛ましい状況を聞いた。いたたまれない気持ちになった。そこで、多くのことを学んだ」と語る。
レンボー・プロジェクトスタッフの話によると、同性愛者への制裁は、コミュニティーへの追放から実際的暴力に及ぶ。ナミビア農村部では、およそ 80% の同性愛者が結婚を強要され、子どもをもっている。多くの国々で同性愛者は 鬱 ( うつ ) を抱えており、異性愛者になることを迫られているとの報告が相次ぐ。
学校における同性愛者は、‘おかしい奴'だとしていじめられたり、‘治療'と称して暴力を加えられて学校を去らざるを得ないケースもあるとバウマンは話す。タンザニアとボツワナでは、異性愛者になって男性と結婚することを強いられ、レイプされたレズビアンがいるとの報告が 12 件以上に及ぶ。
スウォルツは、長い歴史の中で、アフリカには同性愛者をネガティブなものと見なす部族がある一方で、中立的な存在として認めている部族もあることがレインボー・プロジェクトの調べで分かったと話している。
「同性愛者の中立的立場というものが、ヨーロッパから輸入されたものではないことが分かった。異性愛者でいることと同じように、同性愛者でいるということもアフリカ人であるということ。同性愛者は、常にアフリカにいたのだ」とスウォルツ。
アフリカの歴史の中で、いくつかの部族は同性愛を容認してきた。レズビアンは時に神秘的な力を持つものと見なされ、南アフリカでは、伝統的治療者として受け入れられてきた。しかし、アフリカにおける同性間行為研究者によると、度重なる紛争や干ばつの中で、同性愛者は濡れ衣を着せられ、子どもを生み出さないかどで糾弾されてきた。
ヨーロッパから渡ってきた宣教師は同性愛を悪だと教え、ナイジェリアやその他アフリカ諸国の聖職者たちは、反同性愛の教えを未だに行っている。政治家たちはゲイ・バッシングを、支持を得られない政策への有権者からの批判をかわす有効なツールだと考えている。
24 年にわたってケニアを統治したダニエル・アラプ・モイはかつて大統領在任中「ケニアには、ゲイやレズビアンのために費やすだけの余裕も時間もない。同性愛は、アフリカの慣習や伝統に反するものであり、大きな罪だ」と宣言し、昨今ではジンバブエのロバート・ムガベ大統領が同性愛者を‘ブタやイヌよりも劣等'という発言をした。
ナミビアでは、大都市でかつてより同性愛に対して比較的穏やかな空気があり、 1990 年の南アフリカからの独立以後は、首都ウィントフークでは同性愛者が街中で手を繋いで歩けるようになったという。しかし 1990 年半ば、変化が起きた。
「独立から 5 年間は、ユートピアみたいだった」とスウォルツは話す。「誰もが、ゲイであることを誇りに思っていた。ところが、公約に掲げられていた貧困の問題が改善を見せなかったことから、政府への国民の支持は急速に落ちていった。そして政府は自分たちの失敗を誰かのせいにしようと、標的を探し始めた」
1996 年、与党決起集会でトランスジェンダーの男性たちが女性用トイレを使用したことを発端に、公の同性愛反対運動が始まった。当時の失業率は 60% 。野党が非難を浴びた。
その数日後、当時の大統領サム・ヌジョマが初めての反同性愛演説を行った−「同性愛者は非難され、拒絶されなければならない」。また突如、大勢の公人がゲイ・バッシングを行うようになった。ある大臣は同性愛を‘アフリカ文化にとって異質な歪曲した行動'と呼んだ。
それらに対し、レインボー・プロジェクトが発足。メンバーは教会、学校、テレビのトークショーに出演し、ナミビアズ・ヒューマン・ライツ・オーガナイゼーション−腐敗政治、公権力による非人道的行為、暴力に反対し、支持を集める人権団体−と協力してワークショップ〔自主研究集会〕を開いた。
白熱した議論が行われ、中には「同性愛は伝統に対する脅威で、男性は、土地を相続する息子をもつ必要がある」と主張する人もいた。議論は、ナミビア最大の民族オバンボ族−同部族は根深い家父長制をとり、女性に土地所有の権利を認めていない−における女性の権利問題も浮き彫りにした。
ナミビアでの同性愛者を取り巻く環境が改善するにつれ、レインボー・プロジェクトのメンバーは、自分たちの成功を他の国々にも広げたいと話す。
沿岸の街スワコプムントの家具店で働くヘルムート・オクサラブ( 35 )は「希望が持てるのは、我々が今では国レベルでの議論ができていること。テレビでレインポー・プロジェクトのメンバーを見ると、彼らが苦しんでいる若い世代の同性愛者を助けているんだと改めて考える」と語る。「私たちが言いたいのは、‘毎日の生活の中に私たちはいて、みんな、私たちのことを知っているでしょう?我々は、そんなに悪くないでしょう?'ということ。そして、そのメッセージが本当に受け止められ始めているように思う」
ある日の夕方、オクサラブが、 7 年間連れ添う、ウラン採掘産業に従事するパートナーのハロルド・ウチマン( 30 )を連れてスワコプムント市内のカフェにやって来た。そこに、政府機関で働き、同性愛者であることを公にしているヴィクター・ホネブ( 34 )も加わった。
彼らは、どのように親へのカムアウトをしたか、幼少期がどんなに苦しく大変なものであったかを語った。オクサラブは、自分が同性愛者であることを近所の人から聞かされた母が、家を出て行くように命じたことを話した。
「「母さん、受け入れるかどうかは母さんの決めることだけれど…僕は母さんの息子で、今までとは何も変わらないよ」と僕は言ったんだ。そしたら母さんは泣き出して、僕にハグをしてくれた。その後は、誰も僕たちを邪魔したりなんかしない」(オクサラブ)
最近、 3 人は次のことで考えが一致している−ウィントフークやスワコプムントのような大都市では、同性愛に対する理解が根付きつつある。‘クィア・アイ・フォー・ザ・ナミビアン・ガイ'でも作ろうか?と。
「そうだね」とホネブは、ファッショナブルな黒縁の眼鏡をかけ直しながら微笑む。「最近、近所の人が僕に「ゲイの人たちって、とても都会的だよね。ゲイでいるって、すごく今っぽい」って言ったんだ。本当に驚いたけれど、嬉しかったね。いつか、この波がアフリカ中に広がることを願っているよ。」 |