コラム
命がけな秘密
2005/12/31 17:31
私には過去5年間に2度母を泣かせ、彼女の私に対する誇りを失わせたことがある。1度目は、大学へ入学して最初の2,3ヶ月目の頃、ソロリティー(女子学生社交クラブ)に参加していることを電話で伝えた時。
2度目は3週間前のこと。自分がレズビアンであると伝えた時。
カムアウトすることは誰にとっても容易ではないけれど、私は不滅の、ユートピアのような考えを抱いていた。というのも、今までクローゼットからのカムアウトをしてきたけれど、何の困難にも直面しなかったから。友人、ソロリティーを通じた知り合い、そして同僚たちは信じられないほどに私を受け入れてくれたし、クローゼットを飛び出してレズビアンとして生活してきたことを、一度だって後悔したことはなかった。しかし、カムアウトをこんなにスルスルと経験してきた私を、どこかで落とし穴が待ち受けていたのだ。
落とし穴とは、私の家族。
私は厳格なクリスチャンの家庭で育ち、ほとんど人生全てを、生まれついて女性に魅力を感じてしまうということのために、自分は地獄へ落ちるのだと思って過ごしてきた。この世での時間を満喫する代わりに、地獄へ行くための準備期間として人生を生きていた。毎晩、神に向かって「男性と結婚し、子どもを持ち、白いフェンス付きの家、自宅の駐車スペースに置かれたベンツが現実のものとなるように、この‘心の病気'が取り除かれますように」と乞うた。私は、完璧な生活と幸せを祈った−私自身のためにではなく、両親のために。
中学、高校と時は過ぎ、私は、両親を教え導いているようにみられる神とその宗教に疑問を持つようになった。永遠の命とか何とかというものについての牧師の話を聞き、母の口から出てくるゴシップを聞き、自分たちのことを道徳的に正しく、神に愛されている‘人間'だと考える人たちの口からの、憎悪に溢れた発言と偽善を見て育った。
同性愛者は本当の人間ではない。同性愛者は、現実の歪曲した形。原罪の現れ。同性愛者は、悪魔の使い。
どうにかこうにか楽しく、そして上手に生きてきた。でももちろん、宗教に対する完璧なまでの失望と共に。
母、一番の友人、信頼できる人に自分がレズビアンであることを伝える必要が絶対にあると心に決めてから、全ての会話が突然、不自然で、上の空で、ぎこちないものになった。結局、誰もいない真っ黒な銀行の駐車場で、私は叫ぶように言った。「ママ、私、ママが思っているような人間ではないの。私が好きになるのは、男性ではないの」
母は預け入れ伝票を記入する手を止め、落ち着いて、穏やかな表情で私を抱きしめた。そして母は、「この3年間程そうではないかと思っていたけれど、どうやって話を切り出したらよいか分からなかった」と話し始めた。
「あと1,2 週間くらいしてから、改めてこのことについて話せるかしら?」と母が私に聞いてくるまで、私たちの間にはほとんど一時間の沈黙があった。母には、考え、答えを出すべき問題を、そして、母が私に話す必要があると思って機会を逸していた、家族の間には語られていない深く根を張った秘密を整理するまでに、時間が必要だったのだ。
母が何を言ってくるだろうと考えると、私の心臓はものすごい速さで鼓動し、血は体中をめぐったけれど、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。だって、母はまた、私と話をしてくれるんですもの!
私が秘密にしていたセクシュアリティーを告白した母との会話は、何と、母も8年間レズビアンだったという告白に辿り着いた。
ちょっと待って。もう一回整理させて。
私の母よ?共和党支持者で、聖書を拝み、同性愛者を嫌悪し、夫に対して従順な、キリスト教徒である女性が、8年の間、レズビアンだった?
話を聞いて、ほとんど窒息、嘔吐しそうになって、母に心配蘇生をしてもらわなくてはと思ったけれど、何が彼女変化をもたらしたのか尋ねてみた。
彼女の答えは何だったかって?「何も変わっていないわ。男性の中では一番私を大切に、愛し、幸せにしてくれる人だと思ったから、あなたのお父さんと結婚したの。強さと導きを求めてキリストを信じるようになったの。難しいことではあったけれど、私は自分の中にいる悪魔に勝利しつつあるわ。時にはふと女性に目を奪われてしまうこともあるけれど、レズビアンだということで両親や、兄弟や、祖父ともう話ができなくなると思ったら、もう耐えられなかったの。女性と一緒になっていたらもっと幸せだったかも知れないけれど、でも、私には家族がいるわ。」
実のところ、私のセクシュアリティーについては、今までカムアウトした人と、それから母の間だけに留めておくことに、母と私で決めた。それから、母に打ち明けずに、私の人間関係におけるアドバイスを求めるのは難しかっただろうけれど、聞いてもらってよかったと強く思っている。
結局気が付いたことは、母の宗教や築く人間関係がどうであれ、やっぱり私は母を愛しているということ。そして、母もやっぱり私を愛してくれているということ。夜、誰の隣で寝ていようとね。
もしかしたら、両親と私のパートナーと私で過ごすという完璧なクリスマスを、生きている間に過ごすことはないのかも知れないけれど、分からないわよね。母は、事実を整理し、問題を投げかけ、そして娘−それは今ここにいる本当の私−への誇りと愛を確認するためにあらゆる時間と愛を費やしてきたのだ。
母と私を困難が待ち受けているかも知れないけれど、でも私は、母が私を抱きしめてくれるたびに微笑もうと思う。だって、私は心の奥で、母と私以外の家族の信仰のために私が幸福になることについて妥協するのは受け入れられないと、母が私を誇りに思っていることを知っているから。
(文:レベカー・ハート) |